マネージャーは結局、なにをする人なのか
マネージャーって結局、なにをする人なのでしょうか。
実際のところ、「メンバーを指導する人」「メンバーに仕事を振る人」「ひたすら会議に出る人」など、マネージャーとしての立ち振る舞いは人によって様々です。
その曖昧性からマネージャー不要論なども出ている現在ですので、改めてその役割について考えていきたいと思います。
良いチームとは何なのか?
そもそも良いチームとはなんなのでしょうか。
マネージャーを考えるにあたって、まずこの定義からはっきりさせたいと思います。
というのも、これは各人の価値観や経験則に委ねられがちなもので、ここがぶれると「俺の考えた最強のチーム」になってしまいます。
そのため歴史的背景も踏まえて、軸を揃えるところから初めていきます。
Google社のプロジェクトにより指針が生まれる
先ほど述べたとおり、ほとんどのチーム論はつきつめると「俺が考えた最強のチーム」であり、共通の指針を持ちづらい状態でした。
そんななか、2016年にGoogle社が生産性の高いチームの共通点を見極めるプロジェクトの結果を公開したことが、大きな影響を与えます。
良いチームに明確な指針が生まれ、共通の軸を持ってチームについて語られるようになったのです。
良いチームの定義
Google社によると、「誰がチームのメンバーか」であるより「チームがどのように協力しているか」が重要であるそうです。
そして、そのためにもっとも大切な要素が「心理的安全性」であることがわかりました。
心理的安全性とは?
心理的安全性とは、「対人リスクを取っても問題ないという信念がチームで共有されていること」のことです。
心理的安全性の高い状態を作ることで、
- 自分の過ちを認める
- 質問をする
- 新しいアイディアを披露する
といった行動が取りやすくなります。
逆説的にいえば、こういった行動を取りやすい状態が心理的安全性であり、ただ仲が良いだけの状態ではありません。
相手を否定しないことと心理的安全性
いまは心理的安全性という言葉だけが広まり、言葉尻で「相手を否定しないこと」という意味で受けとる人もふえてきました。
しかし間違いを指摘できないような状態は、まさに対人リスクを恐れて行動を起こせない状態にあたります。
つまり、心理的安全性からもっとも遠い状態なのです。
心理的安全性が高いということは、ときには相手を否定するような意見もいえるような環境でなければならないのです。
心理的安全性と生産性
心理的安全性の大目的はあくまで高い生産性であり、そのために自己主張がなされることが必要になります。
単に意見が言いやすい状態を作り上げても、それが具体的な行動に繋がらなければ意味がありません。
つまり、「心理的安全性だけ」あっても高い生産性は達成できないということです。
そのため広木大地氏は、心理的安全性の定義を「些細な問題であっても提起される」「多く問題に対して自己主張がなされる」という観測可能なチームの状態として議論を展開しています。
心理的安全性と責任
一方Amy Edmonson教授は、心理的安全性に加えて責任が必要だとしています。
なぜなら、心理的安全性に責任が組み合わさることで、それが主体的な行動に繋がっていくからです。
またAmy Edmonson教授は、心理的安全性について子供を例にあげ次のように説明しています。
子供にとって新しいものに出会うことは大きなエネルギーのいることです。
そのため、何らかの危機を感じたときに助けてもらえるという「母親」の存在が必要となります。
母親がいるからこそ、外の世界に目を向け、自分らしく振舞うことができるのです。
この子供にとっての母親が、心理的安全性にあたるとのことです。
母性と父性
心理的安全性が「母親」にあたると、「父親」にあたるのは何になるのでしょうか。
社会学者の宮台真司氏の意見を私なりに解釈し、「母性」と「父性」の役割を以下のように定義します。
- 母性:自分を肯定してくれる存在
- 父性:自分を否定してくれる存在
「母性的存在」がないと、自己の否定を受け入れることができなくなります。
精神を保つことが難しくなり、うつ病のように病んでしまいます。
「父性的存在」がないと、社会に適応するための変化が生まれません。
結果として社会で必要とされる能力を身に付けることができず、「引きこもり」のように社会に出ることができなくなってしまいます。
したがって環境に合わせ自己を変化させる(学習)ためには、母性的存在と父性的存在のどちらも必要なわけです。
つまりAmy Edmonson氏の説明における「心理的安全性」が「母性的存在」、「責任」が「父性的存在」であると捉えることができます。
そのため、チームとして学習ゾーンに持っていくためには、メンバーの「母性的存在」と「父性的存在」のバランス感をちょうどよく保つことが重要となります。
自立と自律
では、「母性的存在」と「父性的存在」は、メンバーに対してどの程度与える必要があるのでしょうか。
それは個々のメンバーがどの程度、他者に依存しているのかにもよって変わってきます。
そのための指針として、「自立」と「自律」を以下のように定義して考えていきます。
- 自立:自らの存在を自ら認めることができる状態(セルフコンパッション)
- 自律:自らの間違いを自ら認めることのできる状態
この定義では、母性的存在を自ら補うことができるのが「自立」、父性的存在を自ら補うことができるのが「自律」となります。
「自立」し「自律」していると、他者に依存することなく自ら環境に適応し続けることができるようになります。
逆に言えば、仮にうまく回っているチームだとしても「自立」・「自律」していないと、父性、母性を補っている存在がなくなると成立しないということです。
たとえば、母性的要素を補うマネージャーがいたとしても、そのマネージャーが異動になればそのチームは成立しなくなるというわけです。
したがって、母性的存在・父性的存在を無条件に提供し続けることは必ずしも良いとは言えません。
個々のメンバーが「自立」「自律」する方向を目指していくのが理想なのです。
マネージャーの役割
上記の点を踏まえて、マネージャーの役割は何なのでしょうか。
良いチームの定義はここまでの流れの通りなので、理想を言えば「父性・母性を補う存在でありながら、自立・自律を促す存在」がマネージャーとなります。
しかし一方で、父性的な役割をマネージャー個人が補うことは難しい時代になってきました。
職能別チームからユニット型チームへ
過去、チームは営業チーム、開発チーム、分析チームのように、職能別に分かれ、マネジメントされることが一般的でした。
しかし現在は、ユニット型チームで編成されることが一般的になってきました。
例えば「分析・企画1人、マーケティング1人、エンジニア1人、デザイナー1人」なんてチームです。
職能別チームは、1つのことを成すために多くの人が必要という前提があったからこそのものです。
しかし現在は、単純作業がどんどん機械に置換されるようになりました。
そのため下位の人が機械に入れ替わっていき、必然的に残った上位の人だけで構成されるユニット型組織が取られるようになりました。
ユニット型におけるマネージャーの限界
職能別チームにおいては、その職能において能力を発揮した人がマネージャーとなっていました。
そのため、「職能依存の指摘」をマネージャーが行うことができました。
父性的役割を全てマネージャーが担うことができたのです。
一方で、目的別になると職能の異なる人がマネージャーになります。
すると職能に対する指摘は行うことができず、「期限を守ること」「資料のわかりやすさ」「言葉遣い」のような普遍的な指摘しかできなくなります。
結果、職能の範囲内は治外法権となり、外面の部分だけが重要視されるようになってしまいます。
つまりユニット型チームにおいて、父性的役割をマネージャーが担うことは難しくなったのです。
そのため父性的役割はマネージャーの機能の外におくのが適切であり、マネージャーは母性的役割だけ担うのが良いと言えます。
「マネージャーが指導する」「マネージャーが評価を行う」といったことは、ユニット型組織においては適切ではないということです。
マネージャーは昇進ではなく役割ある
一般的にマネージャーは個人として結果を出した人が昇進した結果なるものです。
そのため「父性的要素」の強い人がなることが多く、
- 過剰に部下に求めるチーム
- マネージャーが1人でやってしまうチーム(プレイングマネージャー)
が生まれがちです。
母性的役割のみマネージャーに求められるとなると、根本的にマネージャーの選定から見直したほうが良いといえます。
なぜなら、「自分が仕事で成果を出すこと」と、「メンバーを受け入れること」は、別の能力だからです。
ディズニーランドの事例
たとえばディズニーランドでは、アルバイトの指南役には、「面倒を見ることに喜びを感じそうな人」が選定されるとのことです。
それにより給料は上がらないので、心から面倒を見たいと思っている人以外ならないのだそうです。
このように、マネージャーはただの役割の1つとして、母性的資質を持つ人に与える仕組みが必要になってくるでしょう。
まとめ
以上の議論をまとめると、
- マネージャーの役割とは、母性的役割を補う存在である。
- 父性的役割は、マネージャーの外に置くのが適切である。
ということになります。
これをふまえるとマネージャー不要論については、
- 自立した人間のみを採用する。
- 自立していない人間の心が壊れても気にしない。
などをしている組織であれば、たしかに不要かもしれません。
前者を完璧にこなすことは難しいため、「マネージャーは不要だ」と言っている組織は基本的に弱者を切り捨てる戦略をとっているのかと思います。