指摘をしても心理的安全性が乱れない環境は?

心理的安全性は、対人リスクをとっても問題ないという信念がチームで共有されている状態のことです。
つまり問題点の指摘が気兼ねなく行われる環境です。
しかし問題点の指摘は、誰かのストレスにも繋がります。
そのため、ただ問題点を指摘すれば良い環境になると一概には言えません。
ではどういった環境が問題点を指摘できる環境でしょうか。
ストレス
まず、ストレスは絶対に無くすべき存在なのでしょうか。
たとえば心地よい環境を目指してなにも目標設定やフィードバックをしない例もありましたが、それに対して不満を抱いてる人も多く見てきました。
毎日ダラーっと練習するだけの部活と、大会目指してお互いに「ちょっと重心高いんじゃない?」みたいに言い合う部活で、前者のほうがストレスないから絶対に良いと言えるでしょうか。
ストレスには良いものと悪いものがあり、必ずしも悪ではないのです。
自責・他責・逃走
まずストレスへの反応として、自責・他責・逃走・無気力化があります。
健全な自責は頑張るモチベーションに繋がります。一方で許容できる自責の量には限度があり、限度を超えると精神が耐えられなくなってしまいます。
そのため他者への攻撃や、その場から逃げることで、自分を守ろうとします。
そしてストレスを受け続けると、最終的に無気力化、いわゆるうつ状態になってしまいます。
人はうまくこれらの反応をコントロールして、自分を守りつつストレスに対処していきます。
耐えられる範囲でのストレスは、モチベーションに繋がるのです。
不便はストレス
たとえば不便だと感じることや、不快だと感じることは、それ自体が恒常的なストレスとなります。
パートナーと同棲を初めて電子レンジがなかったら、「炊飯器買おうよ!」って指摘したくなるかもしれません。
そのため「入ったばかりの新人はモチベーションが高く色々指摘するけど、慣れてくると文句は言わないがやる気がない」のような状況に繋がります。
一方で指摘は現場の人間のストレスにもなってきます。
そのため、この「誰かの不便のストレス」と「誰かの指摘を受けるストレス」の折り合いが大事になってくるのです。
指摘が健全な自責へ繋がる環境を作る方法
対人リスクをとっても問題ないということは、指摘をしても空気が乱れない必要があります。
つまり指摘のストレスが健全な自責へ繋がるとも言えます。
では、どうすれば他責や逃走を避け、健全な自責へ繋がる環境になるでしょうか。
メンタル強い人を集める
ストレス反応やキャパシティには癖があり、同じ指摘でも人によって受け取り方は変わってきます。
そのため、まず『メンタルが強い人だけ集める』という方法が考えられます。
『メンタルが強い人だけ集める』とは、メンタル強い人だけ採用したり、メンタル強い人だけ残る環境にするということです。
体育会系を採用したり、転職回数が多い人を避けるのも、メンタル強い可能性が高い人を採用するためと言えます。
ブラック企業もある意味メンタル弱い人を辞めさせ、メンタル強い人だけ集める戦略と言えるかもしれません。
とはいえ現代人は良くも悪くもストレス耐性が低くなっており、この戦略がうまくワークするかは怪しくなってきています。
ストレスの長期化を防ぐ
『指摘』は一時的なストレスであり、基本的にはそれが長期化することはありません。
多くの人は一度指摘されたからといって会社を辞めませんよね。
では指摘がなぜ問題になるのかと言えば、それが対人関係への問題へと繋がったときでしょう。
対人関係の問題へと繋がると、その人と居るだけでストレスになってしまい、恒常的にストレスを感じ続けてしまうからです。
攻撃を防ぐ
まず危険なのは、指摘ではなく他者への攻撃となることです。
なぜなら攻撃はそれを受けた人のストレスへもつながり、連鎖してしまうからです。
そのために、まず指摘はあくまで人と切り離して行うべきです。
たとえば「Aさんの作るUIは分かりづらい」ではなく、「タブの中にタブがあると分かりづらい」のように配慮する必要があります。
とはいえどのような伝え方であれ受け手が攻撃と捉えられるケースはあります。
そうならないように、マネージャーなどそれを防ぐ役割は必要になってきます。
信頼関係の構築
信頼関係が構築できてないと、どこかで不満化しやすいものです。
しかし今は「飲み会強制しません!」「リモートワークできます!」のように、人と関わらないことが良い環境と持ち出されがちです。
人は単純接触効果といって、会えば会うほど信頼感を覚えるといいます。
たとえばスパイも毎日電車ですれ違うなどして、最初に信頼関係を構築するそうです。
もちろん飲み会を絶対にしろという話ではありませんが、一方で飲み会も役割があって存在したものです。
1on1の場をもうけたり、ランチタイムに雑談の時間を設けるなど、メンバーに合わせて何かしらの代案を用意する必要があるでしょう。
「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」
ハンターハンターの1巻にある次のセリフは、人生でものすごく大事なものだと思っています。
「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」
しかし現実では、ラインを超えるのを恐れて、誰一人傷つけないのが正解とされることも多く見られます。
つまり相手がどう受け取るかは無視して、話し手の発言だけを切り取って「そんなことを言うべきではない」と判断するケースです。
コミュニケーションは相対的なもので、相手に合わせて発言はカスタマイズされるべきです。
傷つけないことを意識しすぎて、問題をごまかし続けて、結果的に大きな問題に発展させてしまう例も見たことがあります。
煽るような言葉や一見傷つけるような言葉でも、それが当人のやる気につながるようなことも往々にしてあります。
そのためにも、信頼関係を構築して、何で怒るかを理解するのが大事になのではないでしょうか。
劣等コンプレックス
ただ話し手の配慮では解決が難しいのが、劣等コンプレックスです。
指摘は、どうしても受け手の能力の不足を感じさせやすいものです。
指摘が続くと、「私はスキルが足りないかもしれない」「無能と思われてるかもしれない」のような考えへと繋がる恐れがあります。
特に年齢や役職が上がってくると、負けてはいけないという意識が強くなり、結果として劣等コンプレックスに繋がりやすいです。
正直なところ、これに関しては頑張ってスキルアップしてもらうか、スキルや年齢に見合った環境に配置するかしかないと思います。
『褒める』『励ます』『低い品質で妥協する』のようにごまかすのは一時的な対策でしかありません。
もちろん当人の勘違いの場合は、褒めたり励ましたりして持ち直してもらうと良いでしょう。
しかし本当に劣っていると思われてる場合、黙っていても空気感はどこかで伝わってしまいます。
ごまかし続けてうつ病になった人も見てるので、本当に当人のことを思うなら、教育するか、配置換えするかするべきだ思います。
自分は優秀な人には勝てないって諦めと、他の人に負けたくないって気持ち
個人として大事なのは、『自分は優秀な人には勝てないって諦めと、他の人に負けたくないって気持ち』の両方なんじゃないかなと思っています。
まずどんな領域にも世界レベル、歴史レベルで比べれば、上には上がいます。
能力の方向性、分野も様々で、「全ての面であの人より勝ってる」なんてありえません。
歳下にも自分より優秀と感じる人は、絶対に出てきます。
したがって「自分は優秀だ」と思っている場合、狭い範囲で、また都合の良いパラメータで比較した話にしかなりえません。
つまりストレスから逃げるための逃避行動であって、ちゃんと現実と向き合って自己研鑽に繋げてるとは言えないのではないでしょうか。
この考えだと、いざストレスに直面したときに、変に自尊心が高いぶんむしろ心が折れやすかったりします。
かといって当たり前ですが諦めしかないと単なる無気力になってしまいます。
したがって個人としては、その諦めをうまく内包しつつ、戦い続ける意思が重要ではないかと考えています。
おわりに
今回はストレスの観点から、指摘しても問題ない環境について考えていきました。
アドラー心理学では、「人生の悩みは全て対人関係である」と言います。
リモートワークだからと言って対人関係に問題が起きないわけではなく、むしろ信頼関係が構築しづらいぶん難しいとも言えます。
コロナ渦の今だからこそ、いかに対人関係の問題に対処していくかが重要と言えるかもしれません。